大学時代のゼミ仲間が毎年2回、京橋のレストランの一室を借りて飲み会を続けて来た。若い内はみんな仕事が忙しくて、何年かに1回、久し振りに集うと言った頻度だったが、この15年ほどは、必ず年2回、場所もいつもの店で定例開催して来ている。
ゼミの同期生は全部で14人だが、各地に散らばっているので、常時その半数くらいが集まる。
2年前には交通事故で1名を失った。それまで、病気もせず1人も欠けずにみんな元気に働いていたから、そのことを仲間達は秘かなる誇りとしていた。それだけに、彼の死はショックだった。
今日の会では、暫し、痛ましい事故で亡くなったH君の思い出話しがされた後、遥々札幌から駆け付けたI君の話をみんな聞きたがった。何せ、彼とは10年振り、20年振りという奴が多いから無理もない。
彼は北海道東北公庫に長く勤めた後、現在は北海道熱供給公社という所に勤務しているようだ。東京から北海道に移った時から単身生活を始めて、もうかれこれ8年になるそうだ。
それだけ単身が長いと、掃除洗濯は勿論、自然と毎日の食事も自分で作れるようになってしまうものだと彼は言う。
僕は10年前に仙台に1年だけ単身赴任したが、非常に短かったせいか、今でも掃除洗濯炊事がまるでダメである。それに比べ、彼のような旦那様だと奥様から気に入られ、第2の人生が非常に旨く行くだろうな。
更に驚いたことに、単身のために自分の時間が沢山あるので、何年か前からフルートを習うようになり、発表会などにも出演しているという。それもクラシックでなくジャズのフルートをやるのだからビックリした。今、ハービーマンをやってるそうだ。
およそ音楽などには縁遠い人だったのに、変われば変わるものだ。この変身への挑戦がPA世代の特徴の一つであり、権利なのだと思う。
ゼミの会全体としては、どうしても現在の経済状況に話が及び、株価はいずれ5,000円台に、円は1ドル70円になるだろうとの意見もあった。
そうなった大きな問題は、サブプライム問題に限らず、虚業である金融が実業の産業の上位に位置付けられるようになってからおかしくなった。世界中で嘘業が実業を脅かしているとの意見で纏まった。
全員経済学部出身だし、銀行や商社に行った奴が圧倒的に多く、産業界に行った奴は3人しかいないゼミなのに、自分達を否定するような結論になったのが面白かった。
僕が会社に入った時から、5〜6年経つ頃までの間、同じ職場で一緒だった元女子社員達が3年前から年1回、同窓会を開いている。昨夜はその3回目が開催された。
40年振りの女性もいて懐かしいし、とても楽しい会だ。この会には男性陣は勝手に参加する訳には行かないのだ。女性陣が来て欲しい男子を決める仕組みとなっているからだ。
僕は毎回呼んで貰っているので大変光栄に思う。まぁ、それ以上に当時22〜25歳の多感な自分が、恋したり、片思いしたり、遠くからただ憧れていた女性達に、再開出来る喜びは、筆舌に難い
そしてこの会が、1回目より2回目、2回目より3回目と、参加する女性陣がどんどん増えて来ている。一回目は女性6人男性4人だったのが、今回は女性13人男性6人となった。口伝でこれだけ新たな女性参加者が増えたのは本当に嬉しいものだ。義理でも付き合う男と違って、楽しくなかったら決して参加しないのが女だからね。
さて、そんな中で今回は遠く四国からわざわざこの会のために上京して参加してくれた女性がいる。旧姓Yさん。彼女は僕より2年後に入社した人だ。その美貌から、直ぐに職場の男子のマドンナになったのは自然な成り行きだったが、同期入社の他部門の男子も放って置く訳がない。
そんな中に他部門に配属になった同期のM君がおり、Yさんを見染めた。傍から見れば美男美女で、もし結ばれるなら、似合いのカップルと誰もが見ていた。M君は先輩の僕等から見てもいい奴なので、M君の強い思いを知れば知るほど、周囲もM君を応援するようになって行ったと思う。
だが、人生、そうは簡単に行かないから、やっぱり人生。結局M君の思いはYさんの心を動かすまでには至らなかったようだ。M君の悲恋物語に終わってしまった。
昨日朝、あのYさんがOG会に出席するとの情報が入った。僕は直ぐにM君に電話で連絡した。「Yさんに何か伝言はあるか?」と聞いた。「時空を超えて今も貴方に対する気持ちは同じです、って伝えて貰えないでしょうか?」「おいおい」。「じゃあ、僕の画集を託しますから、それを彼女に渡して下さい。それから、携帯で彼女の写真撮っておいて下さい」「分かった」。
35年も経っているのに、M君のあの時の思いは変わっていない。僕は妙な感動を覚え、言ってしまった。「そこまで言うなら、お前今日参加しちゃえよ」「いいんですか?」「俺が特別に許す」。
幹事(女性)に無断で彼を呼んでしまった。次回は僕が外されるかな。Yさんには申し訳なかったかも知れないが、会では2人が周囲に気を使いながら、それでも楽しそうに話しているのを見て、正解だったと勝手に思った。
この一週間は、コンサートが2回もあり、会社勤めはまだ2週目だったから結構疲れた。ライブは水曜日に飯田橋のトッパン・ホールで、日曜日は八王子イチョウ・ホールで、夫々夕方6時以降の開演だった。コンサートが終わって楽器を片付け、店に戻って再設置、その後打ち上げとなる。
水曜日は打ち上げ後、家に帰ったのは深夜零時を過ぎていて、翌朝の通勤がきつかったので、流石に日曜夜の打ち上げは遠慮した。それでも正直月曜日は辛いものがあった。幾ら好きなことでも還暦過ぎると大変だな。
しかし、Shifoも他のおじさんバンドの面々もみんな元気だ。僕と同じく還暦過ぎのクーペも糖尿病に脳梗塞・C型肝炎と三重苦なのに、嘗てない真剣さなのだ。
そう、その理由は、来週初めてテレビの音楽番組に出演するからだ。これまでもクーペを取り上げたテレビ番組はあったが、その全てがドキュメンタリー番組か、夕方のワイド・ニュース番組の中の特集だった。本格的な歌番組出演はこれが初めてだから、期するものがあるのだろう。
加藤登紀子や西田敏行、藤岡藤巻、いっこく堂などと一緒に出演することになった。全部で9組のミュージシャンが出演するらしいのだが、「クーペ&Shifo」の出番は、トリの西田敏行(もしもピアノが弾けたなら)の前だというから大したもの。準主役の扱いか?
どうか読者の皆さん、「クーペ&Shifo」の晴れ舞台を見てやってください。
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日時 : 11月25日(火) 19:58〜22:09
番組 : 日本テレビ(4Ch) 「誰も知らない 泣ける歌」
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オタワでは、まず市の中心部にある大規模な露天市場を見て廻った。民芸品・特産品・装飾品・Tシャツ・ジーンズ・果物・野菜・ファーストフードなど、沢山の店が並んでおり様々な人種の観光客で賑わっていた。僕はそこで気に入った帽子を一つ購入した。
次に国会議事堂を見学したが、驚いたのは建物全体が中世ヨーロッパのお城のような趣きで、立派な観光資源になっていたことだ。火災のために建て直したものらしいのだが、見る者には充分に時代の重みを感じさせる。歴史の新しい国でこのような建物にお目に掛かるとは思わなかった。
その後バスの車窓から各国の大使館が居並ぶ地区を眺め、市内を流れるリドー運河の畔を散歩し、セント・ローレンス川をクルージングしてオタワ市内観光を終えた。
翌日は、いよいよ紅葉のカナダの代名詞とも言えるアルゴンキン州立公園に向かった。アルゴンキン族という先住民族に因んで名付けられた。紅葉のカナダをPRするポスターは、大概このアルゴンキン州立公園の写真だそうだ。ここ何日かの冷え込みで、一気に森の木々が色着いていて欲しいものだ。
オタワからはバスで4時間ほど。州立公園全体の大きさは東京都23区とほぼ同じ大きさだという。公園内をバスが行く道路の両側はレッド・メープルの葉が赤々と染まり、息を飲むほどの素晴しさだ。山が燃えるとはこのことと思った。
初日、添乗員に「紅葉はまだ3%」と言われどうなるかと思ったがこれは凄い。カナダに来た甲斐があったというものだ。
実は、僕は現役を引退するまで、紅葉にあまり興味のない人間だった。春の花見には出掛けても、秋に紅葉を見に出掛けるという気にはなれなかった。それは満開の桜には感動しても、葉っぱが色着いた位で何が良いのかと思っていたからだ。
その既成概念が木っ端微塵に打ち砕かれた。林全体が、森全体が紅に染まっている。それも、昨日か今日、真っ赤に染まったばかりだから、晴れ渡った青空を背景にして、新鮮な赤が太陽光を受けて光り輝いている。僕は車窓から我を忘れて見とれていた。
州立公園に入って20分ほど進んだ所でバスから降り、そこから30分ほどハイキングで山を登った。その頂上にテーブル・マウンテンとでも言うような平らな岩が現れた。そこからはアルゴンキン州立公園が一望出来る。一面が、紅葉と常緑樹のモザイク模様だ。遠くには湖が幾つか見える。
人工物が何も見えない超自然。空気も旨い。これがカナダか。空は雲一つない青空。気持ちいい。僕の口が勝手にしゃべった。「カナダなのに、何故か知らねど、日本晴れ」。カミサンが笑った。